夜更ししないで、早く寝る

文を並べると文章になります。

岡野陽一と芸人に推しという感情を持ちたくないオタクの記録

あまりこの職の人間に宛てて言うのは好きではない言葉だけど岡野さんは僕にとっていわゆる『推し』というやつだ。

オタクにとって人生で大事なもの(夢、命、金など)や死生観というものは『推し』について考える時しばしば感情を高揚させる要因となるもので、これへの追求を深め過ぎると“限界オタク”が完成する。

多分に漏れず私も岡野さんについて思いを巡らせることがある。

ひとつ、この人の発言から確信を得て以来心の一片を掴んで離さない事実がある。

それは岡野さんが『めちゃくちゃ生きたい』人だということだ。

じわじわタイプの衝撃が波のように強くなりすぎてソースの正確性が無いのがこのオタクの悪い所だけれど、ともかくこういう内容の発言をしていた。

振り返ってみると生活費で累計1000万円超の借金。カイジを題材にしたTVショーの第一ステージ、高所での橋渡りを一歩も進まずギブアップ(本人は黒歴史として今や絶対に触れない話題となった)。

ほかANN0や配信を見ても確かに『生きたい人』だしそれと同時に『死にたくない人』だ。文字にすれば納得がいくし道理もある。

なのになぜこんなにギャップを感じるのか。

それはおそらくこの人の作るネタの多くが、不条理という言葉がピッタリ当てはまるような、“(我々にとって)普通の日常”のずれに突っ込むのではなく適応しながら嘆くような、ある種退廃的とも呼べる世界観だからなのではないか。

ネタ中の岡野さんはコントの世界の中で不安定で奇怪なボケを重ねながら、そのまま死んでしまいそうな繊細ともまた違う危うさを持っているように思えてならない。

人間味に満ちているのに同じ人間とは思えない発想を持っている。でも“天才”なんて括りに入れてしまいたくない。

巨匠時代のコントに崇拝じみた感情を覚えて、一本しか無いDVDが完璧に完成されたものだと信じて、この大きすぎる思いを鎖骨のあたりにしまっておく。

 

結局あの人に対して渦巻く心情の1/4も伝わらなかった。へんな場所にしまっておくからいざ書き出す時にうまくいかない。