夜更ししないで、早く寝る

文を並べると文章になります。

明らかに続きが思いつかなかった時の終わり方

休みの日は眠る時間が長くなるのが不服に思えてくる。

目が覚めて確認した時刻が平日より2時間以上遅いとイヤな気持ちになる。

瞼を閉じる直前までブルーライトを眼球に浴びせかけている自分に非があるのは認めるけれど、もう少し気持ち良く目覚めさせてくれてもいいと思う。


入眠とユーミン、似てる。

人間の業

久しぶりに飲むオロナミンCはサイダーに栄養剤溶かしたみたいな味がした。

 

いろいろあって版画を作ることになった。実は版画を作るにはまず下絵というものを描かなくてはならない。

 

この下絵のデザインを紙に描くところから全てが始まると言っていい。版画における下絵はRPGでいうところのキャラメイクの段階だ。

ちなみに追記しておくと、ゲームに疎すぎてRPGが何なのか詳しくは知らない。

 

この下絵の案がまったく浮かばない。もう一ミリも浮かぶ気配を見せない。

その沈みきった案を引っ張り上げて、2日後には下絵を完成させる必要がある。

 

ここまで無理やり課題でやらされているみたいな空気を醸し出しているが、版画を作りたいと言い出したのは自分である。2日後という締め切りを設定したのも自分だ。

だから誰も悪くない。でもデザイン案は毛頭無い。

 

※あとさっきから書いている版画の動詞が『作る』で合っているかわからない。たぶん違うと思う。『版を作る』なら正解かもしれない。僕はそんなことを考えた。しかしそんなことを考えているヒマはないのである。

 

こういうことは過去に何度かあった。そしてそのたびに乗り越えてきた。その経験が慢心となって今こうして私にTwitterを開かせている。

 

明日の自分は今日の自分より強い。

あとたぶん“日記”も入る

以前読み終えて久しぶりに読み返した本である働く男(著:星野源)のなかには、『俺を支える55の○○』というコーナーがある。その内容は人生で影響を受けたものや好きになったものを55個挙げていくというとてもシンプルでわかりやすいものだ。

 

僕はこのコーナーがすごく好きだ。本文を一回読み返す毎にここは三回読み返す。もう読んだ文字数でいえば本文と同じくらいになっているかもしれない。

 

人の好きなものを知るのが好き、というわけではない。憧れの人が影響を受けたものを知るのは面白いが、好きな食べ物や仲のいいアーティストにまで興味はない。

 

すこし主題をずらしてしまうが他人からオススメされたものを読んだり聴いたりするのに至ってはむしろ苦手な方だ。

 

では『55の○○』何が好きなのかというと、バラバラのジャンルの物事がたくさん並んでいるのが良い。

 

雑誌に載っている各界の著名人が愛した食べ物や、グッズ販売ページの商品ごとの説明文も似た系統のものとして好き。

この“好き”の最たる例を挙げると辞書だ。僕は辞書を読み物として愛している。

 

辞書は異なる質を持ったあらゆる言葉が紹介されている不可算非売品カタログだから、見ていてこの上なく楽しい読み物といえる。

 

欲を言えば、読み物として特化させるために五十音順でない辞書があってもいいと思う。

実用性は皆無になるがページをめくるたび予想もつかない言葉の紹介が続く。想像しただけで脳から何か分泌されてきそうだ。

 

とりあえず、いま確信をもって言えることは『僕を支える55の○○』には辞書が入るということだ。

部屋の生活感はなるべく抑えたい

久しぶりに部屋が散らかってきた。

しまうのを先送りにされたスケッチブックと鉛筆と衣服が転がり倒している。元の部屋の生活感を1とするなら、今の部屋の生活感は8である。

部屋の散らかりは日々のしまい忘れが積み重なって出来上がるので、久しぶりに云々というのは不適切だったかもしれない。僕はこういうとき反省できる人間になりたい。

床に物がたくさんあると足をぶつけたり虫が滞在しやすくなったりしそうで嫌だ。

『落ちているものに足の小指をぶつけて痛がる』なんてやり尽くされた日常のハプニングを今さら体験するのは恥ずかしい。

 

紙と鉛筆を部屋という台本に張り巡らされた伏線とするならば、あとは掃除という名の回収を待つだけ。

自分の性質はある程度把握しているので、こうして御託を並べているうちは片付けなんて始めないことを知っている。

もっと伏線を張らなくちゃいけないってわけだ。

 

ここでシャッフルプレイリストから大橋トリオが流れたのも何かの伏線に違いない。

体質

手のひらに切り傷が出来ている。

自分でもなぜ俯瞰で書いているのか疑問に感じるが、気づいたら2センチ程の切り傷が出来ていたのだから仕方ない。

手のひらの傷というと、相手の刀を手で握ってボタボタ血が滴るような戦闘シーンを思い浮かべる。

戦った憶えは無いので内出血程度に収まっているけれど、普通に痛い。手汗とかかくし。

 

手のひら、それも利き手となると見た目には大した事ないとはいえ挙動に支障をきたす。

傷を発見した昨日は左手と右の指先だけで皿を洗うという難易度の高い技に挑戦した。もちろん失敗した。

 

切り傷なので水に触れると痛い。だから洗い物や風呂は要注意だ。

 

というか別に何もしていなくても手汗がめっちゃ沁みる。手汗で絆創膏は秒で剥がれる。

もう傷とかいいから手汗治したい。

どの曲が一番とかはない。アルバムを通しで聞くのが一番

コーヒーが冷めてあまり美味しくなくなってきた。

それはともかくTempalayが好きだ。

今も4日ぶりに電源を入れたラジカセでゴーストアルバムを聞いている。ちなみに4日前に聞いたのもやはりTemplayのゴーストアルバムだ。

彼らの曲は奇妙な音をしており、知覚の限界ギリギリを掠める詞が連なっている。

こんな英語の直訳みたいな感想が書けてしまうくらい良い。

このバンドは“21世紀より愛をこめて”のTHE ENDを初めて聞いた時に「これはサカナクションくらい傾倒してしまう」と直感した。

こういう時つい他の音楽家の名前を出してしまうが、断じて優劣をつけるような意はない。

 

今までで感銘を受けた、ちょっぴり頭がどうにかなってしまいそうなくらい好きな曲を思い返してみると「そりゃTempalayにもハマるに決まってらあ」と思う。

午前3時のファズギターとあやか市の動物園を生で聴く事は叶わないのであとはAme(A)にすべてを託したい。

やっぱり苦手だと思った

ここ最近はあまり行列に並ぶという機会がない。僕は行列に並んでいる時の意味のない数十センチの前進が嫌いなので願ったり叶ったりだが、並んでいる時にする飛び飛びな思索は嫌いじゃない。

まだ雪が積もっていた頃、行列に並んだ時のことを思い出した。

 

その日も雪が降っていたが地下を競歩ばりの早歩きで移動していたせいか、マフラーを解き捨てたいほどの暑さに見舞われていた。

マフラーを外して落ち着ける場所と昼食を探すが、どこもそれなりの行列ができている。どこも同じなら馴染みの店にしようと十人前後の老若男女が並ぶ一列に加わった。

建物を往来する人々は家族連れが多い。もしくはカップル。結構な事だ。

 

家族連れとカップルが多いとは言ったが親子に見えない二人組を見かけたらあとは無条件にランダムで盟友かカップルだと認識する癖があるため、実際の組数はもう少し少ないかもしれない。

 

前に並んでいるロングヘアの人はビジネス感溢れるパンツスーツを着こなしていた。背筋が伸びていて格子柄のスーツの光沢がまぶしさすら感じさせる。手に持ったよくわからない色の長財布も相まって、紛れもなく大人の風体だと思った。

 

後ろは家族連れで子供がいる。子供は苦手だ。

遠慮と自制心が無い。とにかく視線に遠慮がない。大人でも中には無遠慮にジロジロ見てくる人はいるけれど子供は母数の桁が違う。

それにそれらの心が無いことに悪気がない。悪気のない善人がもっとも災難を招くことを僕は知っている。

あと子供はよく転ぶ。胴体に対する頭の重さとか色々理由はあったと思うけどとりあえずよく転ぶ。

路面が凍結する地域にお住まいの方はわかるだろうが、道で他人が転ぶと見ていた方までえらく気まずい気持ちになる。これは老若男女問わず気まずい。

行列に並んでいる間は絶え間なくこのようなことを、文字をなぞるスピードで考えている。

時間はいくらでも浪費できるが、一列の一員として無意味に足踏みを繰り返すのは嫌いだ。

 

行列に並ぶことを趣味としている人々が集まるとされている『ディズニーランド』とか『ユニバーサルスタジオジャパン』といった施設は奇特だ。奇特な施設だし、奇特な趣味だと思う。

ユニバーサルスタジオジャパンは一度訪れたことがあるが、見ているだけで足元がふらつくような行列が辺りを埋め尽くしていた。夢空間かと思う。

そういえばディズニーランドは夢の国と呼ばれるらしいから、行列は非日常の象徴なのかもしれない。

 

そんなことを考えながらまた客が流れたわけでもないのに数十センチを前進する。すると後ろの方で並んでいる学生らしき二人組がディズニーランドの話をし始めた。

 

この行列に並ぶ人間のなかで少なくとも三人がディズニーランドのことを考えている。

ディズニーランドはすごい。

 

でも行列に並ぶ人間なんて奇特な性質を持っているに違いないのだから、全員がディズニーランドのことを考えていたっておかしくないとも思った。

行列はすごい。