架空筆者 佐山照喜
火曜日の夜、ぼくはボタンを押すか押さないか、迷っていた。月曜日の夕方家に帰ってくると玄関にボタンが落ちていたのだ。
早朝から肉体労働続きだったぼくは疲れていて、ボタンがあることには気づきながらもそれを押すか押さないかなんて気にかける由もなく、カップスープに入れるためのお湯を沸かしに狭い台所に入ってシャワーを浴びて寝た。
翌日も早くに出かける用事があったためボタンはそのまま玄関にあった。こまごまとしたもので足の踏み場が少ないこの玄関で、うっかりボタンを蹴らないように気をつけたくらいだった。
そして今日帰ってきたぼくはボタンと対峙し、ここで初めて『ボタンを押すか押さないか』という選択肢を頭に浮かべたのだ。
ここまでありのままを書いてみて、今日はまだ帰宅してから何も食べていないことに気がついた。まだカップスープは残っていただろうかとボタンに背を向け狭い台所に向かう。
玄関から台所までの道には出かける時にすぐ羽織るためのジャケットや焼酎ボトルだけでなくゴミも散乱していて、いつも片付けなくてはと思いながら積み重ねる一方の日々を過ごしている。
いっそ、このボタンが押せば部屋が片付くボタンならいいのになと思う。そんな都合のいい話があるはずはないことくらい、毎日地道に働いていればわかるというのに。
ぼくは空腹を覚えながら昨日に比べて随分ゴミの増えた廊下を歩いていた。