紛れもなく不審者
巻き爪に悩まされている。
とはいっても年がら年中いつでも左足薬指について考えているわけではない。基本的にパスタの美味しい食べ方とかそういうことを考えている。
所詮は巻き爪。命にかかわるものではないから世の中の全ての症状の中ではかなり軽視されている方だと思う。しかし考えてもみてほしい
爪切りのたびに妙な角度の困難が立ちはだかるのは案外厄介なことだ。本当に妙な角度だ。僕の爪場合、巻き方が手の甲を上にした時の指の方向をしているから常に爪先は見えないということになる。
爪先を見ずに爪を切るなんて経験をした人がそうそう居るだろうか。すれ違う人に尋ねてみてほしい。「あなたは爪を切る時爪の先を見ていますか?」と。
きっと何もなかったかのように目をそらされるに違いない。
なんとも味わい深い絵を描く人なのだ
時代の流れの中でもう廃れたと思っていたものが、案外今でも普及しているということがある。その代表が“芸能人に会ったらサインをもらう”だ。
写真を撮ることがメインになって、サインは一部の懐古趣味の人々がたまにもらっているものだと思っていた。しかしファンがサインの考察をしていたり、芸能人が自分の新しいサインを考える企画をしているのを見かけてそのイメージは間違いだと思い知らされた(2021.1.31)。
野球選手がボールにサインをするように、ノートではなくその職業ならではの物にサインするのは粋な感じがしていい。ただ、物に書くことに関しては野球選手が最強なのではないかと思う。サッカーボールはなんだか寄せ書きみたいになりそうだし、テニスボールは表面がボソボソしていて書きにくそう。その点野球のボールはほどよく硬いしインクの乗りも良さそうだ。
歌手や作家は著作物に書く。これは実用性とサインの付加価値が一石二鳥で得られるから良い。
ファンがサインが欲しいと思う根源はどこにあるのだろう。僕はまだ好きな芸能人のサインが欲しいと思ったことはない。
ただ、ザ・ギースの高佐一慈に会ったらバッタの絵を描いてもらいたいと強く望んでいる。
YouTubeの面白シーンアピールで画面揺らすあの編集は今すぐなくなってくれてもいい
あまり言わないようにしているけれど実は苦手なものが多い。
同じ場面や言葉を繰り返し連続で見たり聞いたりするのがものすごく苦手だ。
テレビや動画でよくあるスポーツのゴールシーンや面白シーンのリプレイはたった数秒でも見ていられない。録画や動画なら飛ばすしリアルタイム視聴ならその数秒間だけ音を消すほどに苦手だ。
そのくらいなら黙って一人でやっていればいいが、リプレイは画面の向こうだけの話ではない。
日常生活で知人間のそれなりに気を許した相手同士の会話だと、“一つのフレーズがハマる”という状況になることがある。流行りの言葉だったり、内輪特有の愛らしく生ぬるいつっこみワードだ。これが始まると大変だ。なにしろ画面のこちら側どうしではリモコンで飛ばしたりミュート機能を使ったりすることができない。
そして耳を塞ぐわけにもいかない。友人達が盛り上がっているときに突然耳を塞いでいいのは『テンション上がると耳から粘液が飛び出してくる体質』の奴だけだ。
目をそらすという唯一残された微弱な抵抗をしてやり過ごす。
(そう見えているかはともかくとして)普段はなるべく無神経そうに振る舞っているけどオカシなところで神経質なのだという話。
それは普通の枕だ
枕がへんな形になった。
寝床を整えていざ眠るという時に気づいたが、端っこに中の綿が集結してその部分だけ高くなっている。
その日から枕をハシダケトノサママクラと呼ぶことにした。
そして翌朝目覚めると枕はもとの形に戻っていた。
今日からゼンタイテキニフツウノマクラと呼ぶことにする。
激漫を見た
ツイキャスをパソコンで見るのは初めてだった。
ういろうプリンの漫才から始まりういろうプリンの漫才で締め括られたライブ。
三福エンターテイメントさんの演出に与しながらもしっかり面白いネタは劇場芸人の実力がありありと示されていて格好良かった。
ういろうプリンは昔のネタから賞レースネタまで4本披露してくれたわけだけども、一本目からあんなに楽しそうにやられてしまってはファン歴2年やそこらのニワカですら感情の渦がこみ上げてくる。
実力ひとつでここまで愛された漫才師には礼を欠く表現で申し訳ないが、ただ感動させるわけじゃなくそれを忘れさせるほどの笑いも引き起こしてくれた。
本当に最後のネタ、なんだか必要以上に畳み掛けられた時は久しぶりに頬が攣る感覚を覚えた。
「あっち行っても幸せになれよ」と言ったんだから彼はきっとこれからも関東一の激うまツッコミ芸人でいてくれるんだろう。
マヂラブ寄席の配信は一日に3回連続で見たりなんかしたけど、これは1日置かないと精神がざわつく。あとういろうプリンのせいで表情筋が筋肉痛になっちゃうので今日はもう見ずに寝る。
これからは、ういろうプリンとは違う形で何か見せてくれるに違いない。だってあんなに面白い人達だったんだから。
楽しみだ。でもやっぱり
あーあ、
嫌だなあ。
楽しみではあるけども
オンラインでチケットを買った。マヂラブ寄席に次いで2度目の配信ライブとなる。
今回はチケットよしもとのような公式窓口があるわけではなかったのでやや手間取った。途中2回くらい諦めかけた。2回くらい諦めかけたけど買ったということは2度立ち直ったということだ。つまり強い。
とにかくクレジットカード決済がうまくいかなかった。あまりにも画面が進まないものだから若干の値上がりも飲み込んでコンビニ決済を選択するしかない、と思ったタイミングで決済方法が縮小されコンビニ不可能になった時は、本気で法に触れる不穏な思考がよぎった。
なんとかAmazon決済の抜け道を見つけ出して買えたからよかった。例え2度諦めそうになったとしても、正統派漫才師ういろうプリンのラストライブ。見逃すわけにはいかない。
めでたくはないが質素な範囲で美味しい食事を摂ってから見ようと思う。
掻かないといけないからね
肘が痒い。かゆすぎて何も書けない。
文字を書くには痒みのない身体が必要不可欠だということを義務教育で教えてくれればよかったのに。ひどい裏切りを受けた気分だ。
書くには痒みがよくないことも、こんなに肘がかゆいことも信じられない。
裏起毛の服をたくしあげてニベアをこすりつけてもどうせこれから風呂に入るのに。ニベアを入浴剤にするつもりなんだろうか。
ニベアが入浴剤になったら粉洗剤と間違えそうな気がする。根拠は無いのにそんな気がする。
そういえば昔ラスカルが白い粉の缶を倒して真っ白になるシーンがあったような。成体ラスカルのビジュアルしか知らない人が1話の赤ん坊ラスカルを見たら、誰なのかわからなくてパニックになって入浴剤の入った缶を倒してしまうんじゃないか。不安だ。心配だ。かゆみも忘れるほどに。
風が吹くと肘がかゆい。桶屋より薬局が儲かる。桶屋はもののたとえだから薬局が儲かってもイコール桶屋が儲かることに通ずるわけで、つまり風が吹いたら儲かる店は全て桶屋であるということ。
今日は肘がかゆいせいで何も書けなかった。