スピードフォルムが一番かっこいい
スマートフォンの充電の減りが早すぎる。つまりバッテリーが終わりかけているし、ついでにストレージも終わりかけている。
スマホの充電が切れかけるのを経験した人の間で「3パーセントを切ってからが本番」とはよく言ったもので、スマホにはそれまでの充電の減少速度に対して3%からはやや長持ちするというディフェンスフォルムが搭載されている。
しかしこの前、電車を待ちながら残充電5%のスマホで時刻を確認していたら電池切れた。
なんか急に切れた。
ここで僕は一つの学びを得た。
バッテリーとストレージが終わりかけたスマホは3%からのフォルムチェンジが存在しない。
厳密に言えばフォルムチェンジは存在している。ディフェンスフォルムではなく3%どころか5%から0にスキップするスピードフォルムへのチェンジだけど。
ところで我々の世代だとデオキシスの認知度は結構ギリだ。小ネタを挟むもその場の誰もデオキシスのフォルムチェンジを把握しておらず、変な空気になる可能性は余裕であり得る。
人との会話で言う前にこの日記で書いておいてよかった。
残念
雲行きが怪しい朝から、夕方になるにつれて見事に晴れ渡り今日も今日とて書くことが無い。
ここ数日の書くことのなさといったら目を瞠るものがある。ただ毎日寝て起きて食事して勉強して働いている。
ほぼ二十億光年の孤独の歌詞と同じだ。
だからもう二十億光年の孤独の歌詞を検索して見てもらえればそれで日記を一本書いたことになるんじゃないだろうか。
ここでタイミングよくクシャミが出れば完璧だったけど出たのはアクビだった。
酒蒸し
気づいたら指のサカムケが増えている。
つまり知らないうちに体積がちょっとずつ減っているということ。
爪を噛む癖は治ったのに口の中を噛みちぎる癖は治るどころか頻度を増しているのが関係しているだろうか。
そういえば昔学校で使っていた生物の教科書では皮膚の表記は『ヒフ』だった。カタカナになるだけで、なんだかキノコっぽい未知の生き物のような印象を受ける。同じように『皮膚むしり症』はおっかない字面だけれど、『ヒフむしり症』だとコミックバンドの名前みたいな感じがする。
サカムケは料理名っぽいね。
思い当たる節が多すぎるとわからなくなる
身に覚えのない筋肉痛が続いている。
今のところ腹筋が痛いが昨日は腹筋用の筋トレはやっていないような気がする。大腿筋中心だった記憶が薄ぼんやりと思い出される。
かく言う大腿筋は全然痛くない。筋トレしたならもうちょっと痛くなってもいいだろってくらい何ともない。
もしかしたら大腿筋を鍛えていないのかもしれない。しかし理科の教科書を一度でも見たことがある人なら想像に難くないと思うが、腹筋と大腿筋を間違えることはおそらくない。めちゃくちゃ違う。フランスと肉まんくらい違う。
そこまでは違わない。
そこまでは違わないっつってんだ。
知らない事が多いのもお互い様だったりする
ここ最近は父の誕生日が近いので何を贈ろうかと思案している。
頻繁に会うわけではないしお互いアニバーサリーを大事にするタイプでもないので1ヶ月くらい遅れても問題はないと思うけれど、そういうことばかり言っていると去年何をあげたかの記憶が全くなかったり実はそもそも何もしなかったんじゃないかという真実に辿り着きそうになったりするから物の用意だけでもしておいた方がいいだろう。
大まかなジャンルは決まっている。消耗品ないしは食品。理由はこれ以上彼の家に物を増やすのに加担するのは心が痛むから。
贈る相手が片付けられない人間だとか物を積み上げられるだけ積み上げるタイプの人間だとか関係なしに、基本的に僕はプレゼントは消耗品をあげることにしている。
趣味がわかりやすくてよく似合いそうだと確信できたらアクセサリーを贈ることもあるけれど、アクセサリーは小さいものが多いから部屋にあってもそれほど邪魔にはならないだろうし捨てる時も気軽だろうから良い。
そうこうしているうちに父の誕生日まで残り一週間になった。何を贈ろうか。正直なところ食の好みを知らない。大阪の粉モノ以外で食にこだわっている所を見たことがない。
全然思いつかない。酒は飲むけどつまみと一緒に嗜んでいた記憶がない。あの人普段何食べてんだ。
なんかもう食品という選択肢はあまり良くないような気がしてきた。じゃあ別の消耗品だ。
洗剤か。洗剤がいいのか。
すこぶる機嫌がいい
『ページ一面に同じ単語が繰り返し書かれている』のは狂気の演出のやり方としてそんなに良くないと感じてしまうので、良いと感じる人よりひとつ取りこぼしている。
映画で見たシャイニングの例のシーンは面白かったけど、小説やネット上でやられたところで「いや同じ文字めっちゃコピペするやん」と思う。冷める。それはもう憎き似非関西弁を使ってしまうほどに。
コピペ繰り返し文字=手抜きで余白を埋めている感じがするのが問題なのだろう。では手書きなら演出の思惑通り狂気を感じることができるんだろうか。
結果、そんなことない。太宰治が遺した大量の「芥川」が書かれたノートの画像は狂気的ではない。むしろ後世の人間からするとオモシロの部類だ。本人は必死なのだと思うとかわいらしさすらある。
そう考え始めると、長いこと同じ言葉をコピペして、そのうちキーボードに「た」って打ったら「助けて」、その「助けて」をタップしたらまた「助けて」が出てきて永遠にその繰り返し、みたいなことになっているのを想像できてこちらもかわいい。
つまり僕の性格がよくない。