すこぶる機嫌がいい
『ページ一面に同じ単語が繰り返し書かれている』のは狂気の演出のやり方としてそんなに良くないと感じてしまうので、良いと感じる人よりひとつ取りこぼしている。
映画で見たシャイニングの例のシーンは面白かったけど、小説やネット上でやられたところで「いや同じ文字めっちゃコピペするやん」と思う。冷める。それはもう憎き似非関西弁を使ってしまうほどに。
コピペ繰り返し文字=手抜きで余白を埋めている感じがするのが問題なのだろう。では手書きなら演出の思惑通り狂気を感じることができるんだろうか。
結果、そんなことない。太宰治が遺した大量の「芥川」が書かれたノートの画像は狂気的ではない。むしろ後世の人間からするとオモシロの部類だ。本人は必死なのだと思うとかわいらしさすらある。
そう考え始めると、長いこと同じ言葉をコピペして、そのうちキーボードに「た」って打ったら「助けて」、その「助けて」をタップしたらまた「助けて」が出てきて永遠にその繰り返し、みたいなことになっているのを想像できてこちらもかわいい。
つまり僕の性格がよくない。