阿部工房はこれで4冊目
最近は本を読んでいる。今読んでいるのは脛からかいわれ大根が生えてきた男の話だ。
まだちょうど半分まで読み進めた辺りなので、脛から生えたかいわれ大根が最終的にどうなるのかはわからない。
最近見た『雨に唄えば』とは違ってネタバレレビューは覗いていないということだ。
中盤に差し掛かるまでの間に食欲減退シーンは結構出てくる。とはいえ不気味だとか汚染されているだとか、そういう描写は見ていて妙に軽快な楽しみをおぼえるきらいがあるから嫌だとは思わない。
一周回って、逆に、なんて使い古された前置きを使うほど、読み終わる頃には豆苗を食べたくなるんじゃないかと思う。
あと日記らしい記録も付け足しておきたい。今日はすごく足が痺れる一日だった。
梅雨が近い
傘は嫌いだ。
雨が降ってきたからと差しても全身の防御はできないし、運が悪ければ風に煽られひっくり返って無様な姿になる。雨が降らなければ降らないで持ち歩くには邪魔。
持ち運びやすさを求めた折り畳み傘も嫌いだ。なんなら非折り畳み傘よりも。壊れやすいし防御力が低い。
雨には合羽が良いと思う。
架空筆者 管川旭日
すごく困ることは立て続けに起こるもんだとつくづく思う。きっと一人ひとりによって違う『困ることが続く日』の周期があって、最近困ることが多いなあなんて思うときはその周期に当たっているんだ。今がそう。
爪切りは失くすし、普段ならギリギリ間に合う時間のバスは目の前で行っちゃうし、オムライスの卵を焼こうとして手が滑って溶き卵を床にぶち撒けるし、気分は最悪。一気にどかーんって『最悪』まで落ちるんじゃなくてじわじわ地面が溶けていって気がついたら一番下に居たみたいな『最悪』。
そういう『最悪』が一番嫌い。最悪のなかでも最悪って感じだ。
せっかく髪きれいに巻いて出かけようと思ったのに玄関開けた瞬間雨まで降ってくるし。
家を出る前だったのが不幸中の幸いってやつ?最近嫌なことが多かったせいで良いことのハードルがどんどん下がっている気がする。
アディダスのスニーカーは濡らしたくないから、去年の梅雨以来長いこと履いていない長靴を出して足を入れる。
左足を差し込むと、土踏まずに異物感があって気持ち悪い。
靴下を半分持っていかれながら長靴を脱いで逆さまにすると50円玉が玄関の床に落っこちて、初詣でお賽銭投げ込んだみたいな音がした。
今回の周期はこの雨が止むころには終わるかもしれない。何となくそう思って50円玉をポケットに入れた。
靴と傘の用意に時間を取られてバスに乗り遅れた。
チャーシューを言いたいだけ
今日はチャーシューを作った。
前にもチャーシューを作ったことがあって、その時も今日はチャーシューを作ったという内容の日記を書いたような気がする。
しかし正確にはチャーシューは今日作っていない。この日記は夜0時をまわった頃に書いている。チャーシューを作ったのは10時間ほど前、つまり昨日の昼ということになる。
にもかかわらず『今日はチャーシューを作った』などという嘘をついたか。理由は簡単でまだ日付を超えていないと思っていたからだ。
でもこれは、日記の内容かぶりを懸念していた身としては都合がいい。
今日チャーシューを作ったという内容の日記だと前に書いたかもしれない記事と被るが、昨日チャーシューを作ったという日記は絶対にまだ書いていない。
今度チャーシューを作ったら予知夢を見たことにして『明日チャーシューを作る』という日記を書こうと思う。