この時期は凍っている
海老をプレスしたやつが食べたい。でかい鉄でひらべったくしたやつ。名前は知らない。
昔食べたことがあってふと思い出したから食べたいとかではない。ただ急に食べたい。
海沿いを歩いていれば売っているだろうか。
次の休日は海沿いを歩くしかない。海老をプレスしたやつを作っている現場を探す旅だ。
でも海老は川にもいる。川エビという言葉を聞いたことがあるくらいだからうじゃうじゃいるに違いない。
次の休日は川沿いを歩くことにする。
バーレルに入った骨付きチキンが食べたい
まだ振り返るには早いと思いつつも、たまに昔の記事を読み返してみることがある。
今日は9月9日の日記を読み返してみた。なんとなく選んだ日がカーネルサンダースの誕生日だったのは、近頃ジャンクな味に飢えているからなのかもしれない。
9月9日はこの日記の中で唯一シリーズ的な役割を果たしている架空筆者の文章だった。
まず読んだ感想として、明らかに誰かの文体に引っ張られているなと思った。正確には引っ張られ過ぎているなと思った。特に終わり際のまとめ方なんて飽きるほどnoteとオシャレ美術系フリーペーパーのコラムで見た〆だった。
だからこの架空筆者はnoteのヘビーユーザー(読む専)なのだということにした。
あと単純に「あまり進歩してないな」と思う。架空筆者シリーズは書いていて楽しいが一番試されている感じがする。
ところであと一日でプレゼンの資料づくりをしなければならない。文章と同じようにプレゼンも一朝一夕で能力が跳ね上がったりはしないが、5ヶ月前よりは達者になりたいものだと思う。
それにしても相変わらず共感性羞恥って言葉は好かない
喉まで出かかっているけど出てこない状態を舌先現象と言うらしい。この名前が喉まで出かかっているのに思い出せなかったので検索して舌先現象だと判明した。
喉まで出かかっているのにわからない物の名前が喉まで出かかっているのにわからない状態だったわけだ。舌先判定が甘い。
調べてみれば世の中たいていのものには名前がついている。知らない人が多かった物の名前が急に有名になると人々がこぞって使い出す。ゲシュタルト崩壊とかプラシーボ効果もその類だ。
その一方で、名前がついていないほうがいいなと思うものもある。例えば、“目につく物の存在感が気になって集中できない状態”。これに名前がついていたらなんか冷める。なんにでも正解があればいいというものではない。
日報
粘土をこねていたら2時間経っていた。粘土はよく伸びる。あと100均のタオルはありえないほど繊維がボロボロこぼれる。タオルの面積より多いんじゃないかってくらい出る。
そんなわけでパーカーとスウェットを粉と繊維まみれにしながら粘土をこねている。部屋の一角に繊維がたまっていっている。そのうち鳥の巣みたいに自分の周りを取り囲む感じで繊維の輪ができるんじゃないかと思う。そんな夜だ。
今日の朝ごはんは納豆だった
節分が今日じゃないということに違和感を抑えきれない。暦の関係で起こる激レアイベントのようだがこっちはそれどころじゃない。もうなにも信じられなくなりそうだ。
これは節分に裏切られたと言っても過言ではない。気づくのが遅れた自分への戒めとして今年は大豆と寿司を一切口にしないことにする。