そういえば今日は飲んでいない
最近はよく珈琲を自分で淹れて飲む。
牛乳を入れる時もあるが基本的にはそのまま飲んでいる。ちなみにこの一言にも『ブラックで飲む』と書くのは何だか気恥ずかしかったから『そのまま飲む』という表記にしたという経緯がある。
コーヒー豆は豆の形態によって保存の仕方に違いがある。挽かれていない豆は冷凍、粉は開封後冷蔵、お湯を注ぐだけのパックの場合は常温がいいとされている。
※これらは今僕が把握している方法であり、たいていこういう情報はちょっと目を離した隙に最適解が変わっている。そのせいで情弱だとかいう差別用語が蔓延しているのだ。
そして我が家には豆、粉、パックの三通り全てが存在している。よく使うのは豆とパック。豆を挽くのは楽しい。
豆を挽くのに使用するミルは手動と電動の両方持っているが、使うのは専ら手動の方だ。豆が粉砕されていくゴリゴリした感触がクセになるし、電動は音が大きくてびびる。
粉はあまり使わない。というかまだ封を開けていない。未開封のうちは常温でいいが開けると冷蔵庫に入れなければならないからだ。うちの冷蔵庫には生米が大半のスペースを占拠している。
もし今コーヒー豆(粉)を開封すると我が家の冷蔵庫はコーヒー豆(粉)と生米(3kg)で埋まってしまう。いくらコーヒー好きであっても他の食事が保存できなければコーヒーを楽しめない。コーヒーは食事ではなく嗜好品だからだ。
果たして短い間に何度『コーヒー』と書けば気が済むのだろう。自分の記憶が正しければ最初の一文では『珈琲』と漢字表記だったはずだ。
こうやって頼まれもしないアップデートを繰り返しては受発信する情報と豆の数だけ増えていく。
人間もTwitterも同じということだ。